カンニング竹山「人生で一度も古典が役立ってない」発言が物議 (2024年2月28日掲載) - ライブドアニュース
芸人さんがテレビで「高校で習った古典は役に立ったことがない。古典なんかいらない」旨の発言をし、ネットニュースで話題になりました。
場を盛り上げようとしての一市民のよくある発言ですし、記事として取り上げるのもどうかと思いますが、少しマジメに受け止めてみます。
ほとんどの人にとって役に立たないことは無駄、だから、やらなくていいと仮定します。
やらなくていい、ということは、知らなくていい、という所に行き着きます。
例えば、一般のかたが社会に出た後、
円の面積や周の長さ、三角柱の体積を求めたことがあるでしょうか。
一次関数を使ったことは?
分数のたし算をしたことは?
単語を動詞や形容詞に分析した?
ほとんどのかたが、社会に出てから経験していないと思います。
しかし、自分の子に「こんなの将来、役に立たないからムダ。やらなくていいよ。知らなくていいよ」と胸を張って言えるでしょうか。
高校の内容が ほとんどの学生にとって膨大なのもよくないとは思いますが、だからと言って一刀両断に、古典は役に立たないから無駄なのでしょうか。
古典を正しく読み解ける人が少なくなれば、過去を正しく読み解ける人が少なくなります。
過去を正しく読み解ける人が少なくなれば、過去を正しく知ることができなくなります。
過去を正しく知ることができなければ、誤った未来予測をすることになります。
誤った未来予測をすれば、再び三度、同じ過ちを繰り返すでしょう。
私たちが今使っている言葉も、やがて古典になります。
未来の人たちは、今の私たちの文章を、古典として読み解く能力が必要なはずです。
その能力のある人たちが一人でも多いに越したことはありません。
同じ過ちを繰り返さないために、私は、未来の人たちの多くに、私たちの今を、読み解いてほしいです。
だから、古典教育は、個人個人の役に立つかは別として、必要だと思います。無駄だとは思いません。
古典という学問を守り、滅びることがないよう努める必要があると思います。
私は、古典の勉強は嫌いでした。
多くの人は、好きなことは必要、嫌いなことは不必要という振り分けをしているように見受けられますが、好き嫌い、必要不必要は全く違う概念です。
全く関係のないこと、次元の違うことを結びつければ、正しい判断はできないです。
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